作品紹介

岡本太郎プロフィール

岡本太郎

岡本太郎

1911年(明治44年)生~1996年(平成8年)没

神奈川県橘樹郡(たちばなぐん)高津村(現在の川崎市高津区二子)に生まれる。

1929年(昭和4年) 18歳 フランスパリへ渡欧し数々の作品を制作
1940年(昭和15年) 29歳 戦火(第二次世界大戦)により日本へ帰国
1968年(昭和43年) 57歳 メキシコにて《明日の神話》制作開始(翌69年に完成)
1970年(昭和45年) 59歳 日本万国博覧会《太陽の塔》《母の塔》《青春の塔》を完成

その後80歳を過ぎて、なお多くの作品を世に送り出し、満84歳で亡くなった。

大作として知られる作品
・太陽の塔(高さ70メートル) 大阪府万博記念公園
・明日の神話(タテ5.5メートル×ヨコ30メートル)

岡本敏子メッセージ

岡本敏子

『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。悲劇の世界だ。だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。タイトル『明日の神話』は象徴的だ。その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散したのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。

この文章は岡本敏子の逝去前に記されました